ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス 言語の忘却について』


言語には、有機システムの内部に位置する要素である鰓も鰭も翼も全くない。あるのはただ不均質な領域(統辞、語彙、意味など)であり、そうした領域そのものが、複雑で独自の歴史を持っているのだ。

p.81

ひとつの民に与えられた言語は、時を経るにつれて多様化し、同じ姿に留まることはできない。これが、互いに離れて暮らす人々の間で、言語が様々に異なってしまう理由なのだ。

p.84、ダンテ『俗語論』

この言語は毎日わたしたちの手からこぼれ落ちていくのであり、わたしが生きている間にもすでにその半分は変わってしまった。わたしたちは、今この言葉は完璧だと主張することはできる。いつの時代も、同じように言われてきたのだろう。しかしこの言語が、今そうであるように、絶えず逃れ去り、形を変えていくのであれば、わたしはこの言語をここに引き留めておこうとは思わない。

p.87、モンテーニュ『エセー』、「虚栄について」

次々に付け加えられていくこれらの記憶はひとつの塊を形成するが、個々の記憶を区別することはできる。例えば、その中の最も古いもの、最も新しいもの、香りから呼び出された記憶、それから、他の人の記憶でしかないのだが、わたしが話に聞いて覚えているものなど。感じられるのはただ、亀裂や真の断層、少なくとも、起源や年代、「層位」の違いを露わにする、岩や大理石に刻みつけられた石目や雑多な色だけだ。

p.92、ヤコブ・ホーネマン・ブレッズドルフ