20220518

多和田葉子のイメージを追う。自分との距離が近いか、遠いか考える。 Tracing the image of Yoko Tawada, a Japanese writer in Berlin. Thinking of distance, both physically and mentally. Is it close or far between me and her?

…そのうちドイツ語訳も自分で朗読するようになり、それから自分でドイツ語も書くようになっていった。日本語の理解できる人など、ドイツの観客の中でほとんどいない。そういう空気の中で読んでいると、意味を忘れて、声が響いているということ自体の不思議さに改めて気がつく。自分の書いた日本語だから意味が分からないはずではないのだけれど、分からない人たちの耳にかこまれていると、つられて、意味が分からなくなる。

意味を抜きにした言語というのは、ずいぶんと奇妙な演劇である。自分でも、変だ、変だ、と思いながら朗読していく。…でも、意味が消えて物理的現象になった言語には滑稽なほど感動的な響きがあった。

Touristen / ツーリスト

Eigentlich darf man es niemandem sagen aber Europa gibt es nicht:

本当は言ってはいけないことだけれど ヨーロッパなんて ない

『アルファベットの傷口』翻訳可能性、不可能性

ぶれる、ずれる、スイングする、英語のブレイク、ドイツ語のbrechenにもつながる。あるいは「プレ」にも。 『日本からの「エクソフォニー」ー多和田葉子の文学行為の位相』、谷川道子、p.67


references

『日本からの「エクソフォニー」ー多和田葉子の文学営為の位相』、谷川道子、2008

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exofony_01_n.pdf